学歴も宗教も解を与えてくれない(今のところ)アンパンマンの質問【2】

 

人生の目的はどこにあるのか。

前の続き。

 

 

大学で私なりに挫折して

自己嫌悪スパイラルで

自分がその時所属していた社会とのつながりを切りたいのだけれど

その方法を前向きに考えられる体力もなかった時

母親が「これ行く?」とハワイの学校を紹介してくれました。

(海外という選択肢を提示してくれるほどに親の心とお金の余裕があったことは大分恵まれてる、その点は自覚してる)

 

それはキリスト教の団体が運営する学校で

聖書の勉強とボランティア活動が組み合わされた

6ヶ月のプログラムでした。

実はこの頃キリスト教が苦手でした。

むしろ嫌悪感を抱いてたとも言えたり。

 

小学校からカトリックのミッションスクールに通っていたので

聖書の授業や讃美歌にはそれなりに親しんできて

嫌いではなかったけれど

私が高校生の頃両親が近所のプロテスタントの教会に通い始めて

私も何度か礼拝に行ったことがあったけれど

プロテスタントの型のない自由なお祈りの形や

信者の人たちがセキララに自分の思いを共有する空気が

私には合わなかったこと。

それと、母が創造論を支持するのだけれど、

ちょうど受験生物で進化論を学んで

さらに最高学府と呼ばれる学校にいて(当時は宗教と科学は相反すると思っていた)

そこに居ることに自分の価値を見出していた私は、

母が進化論を否定することが

私自身を否定されているように思ってしまっていたわけです。

(精神的にも親から本当に自立できていない大学生だった。)

 

ただ、その時はとりあえず日本を離れられるなら何でも良くて

英語会話能力もTOEFLスコアとか要らないと聞いて

即そのハワイの学校に行くことを決断しました。

 

ただ、行ってみたら思っていたよりしっかりキリスト教で。

毎日聖書を読んで、お祈りして、

ボランティア活動も宣教活動の一環として求められていました。

ハワイはスピリチュアル性が強い島でもあったので

異言と呼ばれる言葉をしゃべる人がいたり

天使が見えるという人がいたり

戸惑った部分もあったけれど

それ以上に一緒にいたチームの皆が

社会的な価値での装飾が無い私をただの個人として受け止めて

仲良くしてくれたことが幸せでした。

 

そんなこんなで半年間ハワイの島を回りながら過ごして

その年の終わりにはキリスト教を信仰することを決めました。

聖書の記載内容をすべて事実として受け止めることはまだ難しかったけれど

決心のきっかけは2つ。

一つは周囲の友達の価値観とそれに基づいた生き方を見ていて、

私もそのように生きたいと思うようになっていたこと。

もう一つは、過去2000年以上不変に受け継がれて普遍に信じられてきて

私よりずっと優秀な人たちがそこに真理があると認めてきたものならば

残りの人生、真理の探究をそこに賭けてみてもいいかもしれないと思ったこと。

 

そうして洗礼を受けました。

 

この時は、私は人生で頼るべき指針を掴めた、

この信仰から離れなければ ちゃんと生きていけると思いました。

 

キリスト教の私が魅かれているところは、

他の宗教はわからないので比較結果ではないけれど

すべての根源が創造主にあるという考え方。

それまで私は自分にばかり目を向けてしまっていました。

自分はこうありたい、自分はあの知人に対してこう劣っている、

その自己中心的な価値基準の傲慢さを指摘して

手放すことを教えてくれたことは

すこしこの世界を生き易くしてくれました。

 

ただこの信仰はハワイという非日常で得られたもので

日本に帰って来てからそれを日常生活に当てはめる作業が必要でした。

 

そして今はまだその壁を乗り越えられずにいます。

 

[続く]